大雨2010-03-03 06:27

アラビア半島では「水」が大変貴重であるが故、
ヨルダンでも雨が降ると現地の人は大喜び。
ヨルダンの年間降雨量は200mm以下です。
ちなみに日本の年間降雨量は1700mm程度です。
さて、ここ数日間アンマンでは連続的な大雨でした(↓)

多少地区により差はあるもののなんと4日間で149mm~178mmと記録的な降雨量。
ヨルダン国内の主要ダムは最大容量の60%まで満たされ、
会う人皆が口をそろえて「いい雨だ、いい雨だ、素晴らしい」と大喜び。

しかし、一旦雨が降ると都市の排水設備が整っていないため、
日本では大した雨でなくてもあらゆるところで浸水がはじまり
都市機能があっという間に麻痺してしまいます。
雨の降る確率が少ないため、都市排水設備にそこまで投資していないので、
しょうがないと言えばしょうがないのですが。

ちなみにチュニジアではこんな事業がありました

都市化と気候変動による異常気象が続くと、
どうしても都市防災に、より一層取り組む必要があります。

我が家の地下駐車場(↓)


今回の雨で地下室が40cmまで浸水、
市役所のポンプ車に3回も排水に来てもらいました。
地下駐車場、地下機械室、地下倉庫、地下に住むエジプト人ガードの家は完全に浸水して、何度も市役所に電話してるのに(本当か分かりませんが)ポンプ車が一台しかないと言われ、呼べども呼べども来ない状況。

地下倉庫は散々な状態になってましたが、
それよりも地下機械室がショートするのではないかとハラハラしていました。
凍るように冷たい水の中を歩いて(↓)、車も地下駐車場から救出。。。


道路も日本のように水はけが良くできてないので、
雨が降るとスリップしてこんな交通事故も多発(↓)
ちなみにこれは人は無傷でしたが。


また、人口急増中で常時水不足に悩まされている地域であるが故、
こうして降った雨水を無駄なく逃さず、
効率的に収集する設備の整備を急ぐ必要がありそうですね。

アンマンのクリスチャン村、フヘイス2010-01-17 07:24

今年は中東全体で暖冬、今週末もとても家でじっとしていられない、
ポカポカ陽気です。

ということで、アンマンでも一番大きいショッピングモール、
City Mallに買い物に行ったあと、
そこから5km程度離れた、クリスチャンの村
フヘイス村(Al-Fuheis)にぶらぶらと出かけてみました(↓)


ここは特段観光地ではなく、住人の9割以上はクリスチャンで、
サルトにも程近い所にあります。

City Mallからフヘイス村への道のりはこの通り緑いっぱい(↓)


アンマンに住んでいて不思議に思うのは、5km、10km、15km、
といった短い距離を走るだけで
突然緑園地帯に出たり、砂漠に出たり、岩山に出たりで、
風景があっという間に変化すること。
高低差が著しいため、わずかな距離で天候や土壌の状況が
大きく変化するみたいです。

村の中を走っていると古い石造りの家を時折見かけます。
これは100年ぐらい前の家でしょうか(↓)
現在のヨルダンでは地方でももっぱらコンクリートブロック等の近代材料を用いた家に変わり、こうした家は殆ど見かけることができません。


ペトラにあるTaybet Zaman(タイベ・ザマン)ホテル
こうした家々を復元した客室になっています。

この家は空き家でした(↓)


玄関の上には十字架(↓)


村の中には他にも石造りの家が点在していました(↓)


そして、村の広場もこの通り、イエス・キリストの人形(↓)


教会も沢山あり、遠くの山の緑がきれいです(↓)


何でしょうか?イブラヒム神父寄贈と書いてありました(↓)


イスラム教徒に多い名前の一つにイブラヒムがあるので、
ムスリムだけにゆかりがあるのかと思い込みがちですが、
考えて見れば預言者イブラヒム(もしくはアブラハム)は
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれに「親愛なる父」として登場しています。

さて、一息つくために町のカフェに入りました(↓)


Zuwwadeh(ズワーデ)というところで(↓)


石造りの落ち着いた雰囲気で(↓)、なかなかお勧めです。


休憩にはやっぱりこれ!
ヨルダンで一番飲まれているビール、アムステル(↓)
(ビールしか飲まなかったのですけど、メニューを見たらアラブ料理も充実、
朝10時からのアラブ・ブレックファストも有り)


アラビーな絵も飾ってあり(↓)


毎日、夜8時から生演奏もあるみたいです(↓)


ということで、今度は夜来たいと思います。

黄金色の町、サルト2010-01-12 07:32

アンマンから北西に約30kmに、
人口8万人程度の小さな町、サルトがあります(↓)


現在のサルトの特徴は19世紀後半から20世紀前半に建設された、
黄色身を帯びた砂岩を用いた家々による独特のまち並みです。
夕暮れになると、まち全体が黄金色からオレンジ色に変わり、
丘陵地に建つこともあって、
一面に広がる建物の色彩は訪れた人を魅了します(↓)


そもそものサルトの起源は、紀元前300年頃、
アレキサンダー大王統治時に軍事拠点の一つとして発祥したと考えられています。

そのため、町の周囲には古くからの居住痕跡も点在しています(↓)


古くから交易拠点や行政拠点として栄えてきた小さな町ですが、
現在のサルトの都市の容貌は19世紀以降に形成されたものであり、
日本の城下町に極めて似た構造を持っています。
(もちろんサルトは城を中心とした都城ではないのですが)

町の周囲は小高い山々に囲まれ、オリーブ栽培農家も多いです。
これは知人の週末別荘(↓)、趣味でオリーブ栽培を行っていました。


丘陵地のため利用できる土地面積が限られる一方、
交易拠点でもあったことから町の中心部は居住空間や商業空間、行政空間等、
様々な都市機能を集約する必要が発生しました。

そこでこれらの空間を限られた道で連結するため、
路地が発達しました(↓)


一方で道幅の広い幹線道路は限りなく最小限に抑えられました(↓)
主要都市交通が車となった現代では渋滞の原因とはなっていますが、
この独特の都市骨格が19世紀のまち並みを保存できた一因でもあります。


つまりは、人口が飛躍し、都市交通手段も大きく変化し、
行政機能とサービスの充実のため、より多くの土地を必要とする
現在の都市構造においては、地理的・地形的制限をうけるサルトでは
対応しきれないと当然考えられます。

こうしたことまでを当時の統治者層が考慮したかどうかは分かりませんが、
実際20世紀中頃サルトをヨルダンの首都にすることも検討したようですが、
結局はサルトはそのまま放置され、
アンマンを首都として開拓していくことになりました。

丘陵地なので、続く階段道(↓)

坂道も続きます(↓)


サルトのもう一つの特徴は町と住人の距離がとても近いこと。
例えば路地の真上にせり出すバルコニー(↓)
ここから住人が道行く人と挨拶をしていた姿が想像できますね。


さらに丘陵地なのでどの家のバルコニーからも町を一望でき(↓)
町の様子が刻々と変化する様を住人の誰もが知り得たと思われます。


居住面積も限られていたことから、
人々は対話の場所をまち中に求めました。
これはお爺ちゃんたちの寄り合い(↓)
町の広場で毎日囲碁のようなゲームを楽しんでいます。


そして都市の活力の最大のバロメーター、市場(スーク)です。
商店と人々の距離がとても近いことが分かります(↓)


近くの農家の露店も点在し(↓)
ここで挨拶や値段交渉、日々の出来事の情報交換を通じて、
人々が対話していたのが想像できますね。


サルトのもう一つの特徴はクリスチャンが多いこと。
これは町の中心の教会(↓)


交易都市であったことから、外部から来る人に配慮しつつも、
イスラム教徒とキリスト教徒がひっそりと肩を寄せ合い生活していました。

アンマンも年末年始はお祝いシーズン2010-01-03 15:05

クリスマス、年末年始はアンマンも賑やかなシーズンです。
ホテルやデパートも1月上旬頃までクリスマス・ツリーが飾られ(↓)
町の中もそこそこライトアップされています。


ヨルダンは92%近くがイスラム教徒で、6%程度のアラブ系キリスト教徒がおり、
イスラム教徒の行事・祝い事は別の時期にありますが、
クリスマスと1月1日は国民の休日になっています。
アンマンは仕事での駐在者やヨルダン人と結婚した外国人在住者が多いこと等から、
至るところでクリスマスや新年の祝い事があります。

ところで、イスラム教では他者をイスラム教に改宗することが
他者の幸福にもつながると一般的に考えられており、
他者を思う気持ちから改宗が(強要はされていませんが)勧められているため、
イスラム教徒との結婚の場合、親族との体裁上イスラム教に改宗する人もいます。
女性の場合必ずしも改宗は必須ではなく、子供は父親方の宗教を継承することになっています。

ヨルダン人と結婚している外国人の中には、
結婚届け上、イスラム教徒に改宗したことになっていても、
宗教は個人の考えまかせという家庭もあり、
お父さんはモスクに行くけど、お母さんは教会に通う、
宗教関連の祝い事はそれぞれの宗教にあわせて家庭の中でも行うといった、
国際結婚カップルを良くみかけます。

夫婦間で宗教が違うご家庭のお祝いにさそわれました(↓)
キリスト教徒の断食(宗派によりクリスマス前の数週間断食有り)明けのお祝いでした。


ユーロ圏出身のキリスト教正教会徒のお宅にも誘われました。
ご家族の守護聖人ニコライ聖人(サンタクロースのモデル)のお祝いです。
主が抱えている黒い塊は?(↓)


抱えてたのはこんなアフリカンなお方(↓)
頭の帽子はPKO(国際連合平和維持活動)のものです、
日本の自衛隊もかぶってましたよね。
主は元PKO関係者で、今はアンマンを拠点に西アジア(アフガニスタン等)、
中東(イラク等)、アフリカ(スーダン等)で活動する外国人の安全管理に従事中。


ヨルダンでは最近はアメリカやイギリスへ留学する人も増えましたが、
一昔前までは距離的な近さや学生受け入れ態勢の充実度等もあって、
旧社会主義国(ロシア、ウクライナ、ユーゴ圏)に留学していた人も多くいました。

NHK初代「うたのお兄さん」、
ビューティフル・サンデーの「田中星児」さんが、
かつてのユーゴスラビアを訪れた時、歌って、踊って、食べて(飲んで)、
自由気ままに生きる様に感激した様子をテレビで語っていたのを記憶しています。

どうもこの感覚、食べて、歌って、踊って、しゃべり好き、気ままな性格のアラブ人にも
一部通じるようで、旧社会主義系国との国際結婚カップルを良く見かけます。


年越しは去年も今年もユーロ出身者中心のパーティに参加(↓)
ここでも、ユーロ懐メロが流れれば、踊りは永遠に止まらず!


それぞれの国毎の時差に合わせ、
何回も新年あり、国毎の国歌斉唱あり(↓)


今年の一番人気ソングはこれ(↓)
1978年のラスプーチン


去年の一番人気ソングはこれ(↓)
1979年のジンギスカン

外交団バザー2009-10-22 23:46

先日毎年恒例の外交団バザーに行ってきました。

売上金はフセイン前国王の妹、
プリンセス・バスマ(Princess Basma Bint Talal)が支援する
Mabarrat Um Al-Hussein孤児院に寄付されます。

バザーの商品は決して充実はしていませんが、
ヨルダンで異文化と接する機会が少ないので、
たまにこういうイベントがあるのもいいものです。


スーダン・コーナー(↓)
ヘンナやデーツ、民芸品など


エジプト・コーナー(↓)
手作りのコットン製品が充実


インド・コーナー(↓)
おなじみのサリー


クゥエート・コーナー(↓)
ベドウィン(砂漠の遊牧民)のお手製のラクダ毛の絨毯。
手作り感が気に入ったので1枚購入しました。
家の玄関の壁に飾ってイメチェンしてみました。

アンマンのスーパー2009-10-08 06:40

アンマンがどのような所か想像しにくいため、
生活事情、特に日用品が簡単に手に入るのか等について良く質問されます。

欧米のように大型スーパーが点在しているので日用品で困ることはなく、
いつも週末に車で大量に買い込みに出かげています。

これはカルフール(↓)


欧米諸国から輸入されているものは、現地の物価を考えると多少高めですが、
生活していく上での必要なものは何でもそろいますし、
最近はアジア系の調味料もかなり増えてきています。

野菜類(↑)は低価格ですし、品質もいいです。

山積みにされた商品の中から選ぶので、
日本のようにどれをとっても同じ大きさ、同じ品質というわけにはいきませんが、
鮮度が良さそうなもの、美味しそうなものを自分で選ぶので、慣れるとかなりの目利きになれます。


ヨルダンは内陸にあるので、(↑)の値段は少し高めですが、種類もまあまあ豊富です。

最近日本で食べれる干物類が懐かしくなり、買ってきたお魚を家のバルコニーで干しています!

フセイン前国王のレトロ車コレクション2009-09-26 23:54

アンマンのAl Hussein National Park の中にあるThe Royal Automobile Museumに行ってきました。

http://www.royalautomuseum.jo/main.asp

自動車やバイクが大好きだったヨルダンのフセイン前国王のコレクションが主に展示されています。なんだか高そうな車両が沢山(車について全く詳しくないのですが、そう見えました)。
ちょっと素敵な車
館内はレトロ車&レトロバイクが沢山
昔のバイクだそう。木でできてます。一瞬自転車かと思いました。
こんな写真が展示されていました。1926-1951年頃(アブダラ1世国王統治時)のアンマンと書かれていましたが、、随分と年号の範疇が広いですね。。