宮殿都市、オスマン帝国トプカプ宮殿 ― 2009-11-28 12:14
13世紀から20世紀までイスタンブールを首都として栄えた、
オスマン帝国。
イスラム王朝の一大勢力として拡大したわけですが、
歴代のスルタン(皇帝)は国政を執り行うにも、
しかるべき生活基盤がありました。
その生活基盤の一つがトプカプ宮殿です。
15世紀後半から19世紀中頃までの約370年間、
スルタンを中心としたオスマン帝国の拠点として機能しました。
宮殿部分の模型(↓)
全長5kmの城壁(↓)に囲われ、
緑豊かな敷地(↓)の面積は70万平方メートルにも及びました。
ボスポラス海峡とマルマラ海峡を一望する丘の上に建ち(↓)
強固な門(↓)で護られた城塞でもありました。
執政のための議会堂(↓)
議会堂の中の様子(↓)
スルタンの母を筆頭に(母親の部屋↓)、
第1から第4番目までの正妻や女官ら500人以上の生活の場である、
ハレムもありました。
(男子禁制でスルタンと黒人宦官のみが出入りを許されていました)
ハレム内にはスルタン専用の広間(↓)や
王子の部屋、学習室等もあります。
その他に宮殿の敷地内には、
病院、学校、兵器庫等あらゆる施設が整備され、
4000人~6000人もの従者が生活していました。
これだけの人々が何世代もにわたり、生活しているからには、
宮殿内の生活環境も都市が形成されるかのように、
成熟したものと想像されます。
オスマン帝国。
イスラム王朝の一大勢力として拡大したわけですが、
歴代のスルタン(皇帝)は国政を執り行うにも、
しかるべき生活基盤がありました。
その生活基盤の一つがトプカプ宮殿です。
15世紀後半から19世紀中頃までの約370年間、
スルタンを中心としたオスマン帝国の拠点として機能しました。
宮殿部分の模型(↓)
全長5kmの城壁(↓)に囲われ、
緑豊かな敷地(↓)の面積は70万平方メートルにも及びました。
ボスポラス海峡とマルマラ海峡を一望する丘の上に建ち(↓)
強固な門(↓)で護られた城塞でもありました。
執政のための議会堂(↓)
議会堂の中の様子(↓)
スルタンの母を筆頭に(母親の部屋↓)、
第1から第4番目までの正妻や女官ら500人以上の生活の場である、
ハレムもありました。
(男子禁制でスルタンと黒人宦官のみが出入りを許されていました)
ハレム内にはスルタン専用の広間(↓)や
王子の部屋、学習室等もあります。
その他に宮殿の敷地内には、
病院、学校、兵器庫等あらゆる施設が整備され、
4000人~6000人もの従者が生活していました。
これだけの人々が何世代もにわたり、生活しているからには、
宮殿内の生活環境も都市が形成されるかのように、
成熟したものと想像されます。
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