アレキサンダー大王の故郷、デカポリス・ペラ2010-01-08 08:24

「デカポリス」という言葉を聞いたことがありますか?

これはデカポリスの一つ、アンマンから130km北にある
タカバト・フィル、通称ペラという町の跡です(↓)


古代の列柱が並んでいるのが見えます。
ここは東方遠征により空前の大帝国を創設し、
ヘレニズム時代を開いた、
アレキサンダー大王として知られる、
アレクサンドロス3世(紀元前356年~323年)の生まれた町です。

アレキサンダー大王により東方に展開したギリシャ文化は、
やがてはヘレニズム文化に形を変え、
インドや中国を経由して日本にも到来しました。

さて、「デカポリス」とは何か?
古代ギリシャには、都市とその周辺地域が独立した政体をなす
「都市国家」が存在していました。
広域の領域支配を行う単一国家が存在しない地域においては
複数の都市国家同士で同盟を組み、政治体を形成していました。

1世紀頃のヨルダン、シリア、パレスチナ地域一帯には
ローマ帝国時代、地中海東側の拠点となる都市がいくつか点在しており、
これらの都市が同盟を組んでおり、
それを「デカポリス」と呼んでいました。

「デカポリス」とはギリシャ語で十の都市国家(デカ:十、ポリス:都市国家)という意味です。

おそらく当初は十の都市だったのかもしれませんが、
最終的には十以上の都市が加盟しています。

ちなみに「ドデカポリス」、(ドデカ:十二、ポリス:都市国家)という言葉もあります。
(日本語で聞くと変ですね)

以下の都市がデカポリスに該当します
(未だ未確認の都市もありますが、大半の都市は聖書の中にも当時の様子について記載されています。)

現名称     (旧名称)
↓           ↓
【ヨルダン】
アンマン     (フィラデルフィア)
ウンム・カイス  (ガダラ)
ジェラシュ     (ゲラサ)
タカバト・フィル  (ペラ)
クゥエイルベ  (アビラ)
ベイト・ラス   (カピトリアス)
イルビッド    (アラベラ)

【パレスチナ】
ベス・シアン  (スキュトポリス)
ヒッパス    (ヒッポス)

【シリア】
クナワット   (カナタ)
ダマスカス   (ダマスカス)

デカポリスに加盟していた都市間は舗装道が敷かれ、
馬車や早馬が走り抜け、政体を保っていました。

あいにくペラを訪れたのは秋で、天候も悪かったのが残念です。
ペラはヨルダンの中でも一番早くに春が訪れ、
一面のお花畑になることで有名なので、
暖かくなったらまた来たいと思います。

観光客用にペラ遺跡を望む小さなレストランがあります(↓)


欧米人の観光客で賑わっていました(↓)

ウンムカイス遺跡の中のレストラン2009-11-03 07:47

ウンムカイス遺跡の中には
オスマントルコ時代に女学校だった建物があり、
現在はレストランとなっていました。

テラス席に座れば、ゴラン高原の壮大な景色が見れるのですが、
寒かったので、室内に座りました。
寒くなりましたが、テラスにはブーゲンビリアもまだ咲いてキレイ(↓)


室内の席でも窓越しに見えるゴラン高原はとっても素敵(↓)


アラブ料理を注文しました。

定番のラム肉やチキンのグリル、豆ペースト(ハモス)、
パセリサラダ(タブーレ)、ヤギのチーズ等々です。
美味しかったです(↓)


壁に古い写真が飾ってあり、興味深かったので撮影してみました。

この地域のクリスチャンです(↓)


一般的な村人だと思います(↓)


ベドウィン(砂漠の遊牧民)の古い写真だと思います(↓)


村の女性たちだと思います(↓)
今でも頭の上に荷物をかつぐ様子は時折見かけます。

月夜のウンムカイスとゴラン高原2009-11-02 06:36

10月最後の週末、長雨で道もこんな状態の中(↓)
ヨルダン北部、シリア国境近くのローマ遺跡、
ウンムカイス(Umm Qais)に行きました。



でも、雨上がりのおかげで、こんな幻想的な風景に出会いました。
月夜に浮かぶウンムカイス遺跡(↓)


夕焼けに包まれる遺跡(↓)


雨上がりの静けさの中、佇む古代の列柱(↓)



ウンムカイスはかつてはガダラと呼ばれた都市。

聖書ではイエスが悪霊に取り付かれた2人の男性から、
悪霊を豚の中に追いやったと、書かれています。

これは(↓)地元の聖者を埋葬するため360年頃に建設された地下埋葬室。

後にイエスの奇跡「ガダラの豚」巡礼者向けの教会に改装されました。


実はこの地域の近くに最近まで「メスの豚」名付けられた村があったそうですが、
現在のヨルダンはイスラム教国家のため、村の名前は変更されたようです。

ガダラについておおよそ分かっている歴史は、
プトレマイオス朝の紀元前約200年以降、
セレウコス朝やユダヤ・ハスモン家の支配等を経て、
紀元前64年のローマ・ポンペイ将軍支配以降、
都市として飛躍したとのこと。
8世紀頃までは多くのクリスチャンがこの地にいました。

その後、地震等の影響で都市は衰退するのですが、
1960年代以降の近年に入り、この地域(ゴラン高原)は中東戦争で、
特にシリア・イスラエル間の領地争いの激しい戦いの場でもありました。

ウンムカイス遺跡はゴラン高原の南端の小高い山にたち、
これが(↓)ゴラン高原のはじまり、奥に見えるのがガリラヤ湖。


そして、高原の麓の村々も見えますが(↓)
手前はヨルダン領、奥に見える村は
イスラエルとシリアで現在も領地争いをしているそうです。