世界一美しいブルーモスク ― 2009-11-24 08:06
トルコは数多くの世界遺産があり、
イスタンブールでは「イスタンブール歴史地域」と呼ばれる、
一定のエリアに建つ、建造物群が世界文化遺産に指定されています。
その中で通称「ブルーモスク」と呼ばれるスルタンアフメト・モスクは、
世界一美しいモスクとも評されています。
これがブルーモスク遠景(↓)
6本のミナレット(モスクに付随する礼拝時間を知られるための円錐型の塔)と、
中心には大ドームが威風堂々とたちます。
建築平面図はこのように(↓)単純な形態ですが、
一歩室内に入ると、あらゆる建築施工技術を活用して、
イスラム建築の宇宙観を
この祈りの場に具現化していることがわかります(↓)
つまり、高さ43mの大ドームと
ドームを巨大な柱で支えたことにより、
室内空間をできる限り開放させようとしたこと、
さらに260もの窓を配置し、
当時の建築技術を最大限活用して、
室内空間に広がりを持たせようとしています(↓)
窓からはユリやチューリップ等の植物が描かれた
ステンドグラスから七色の光が差し込み(↓)
内装は白い大理石と
2万枚以上の青色を基調としたタイルで仕上げられ、
当時の施工技術の結晶であったと言えます。
中心ドームを見上げる(↓)
かつては手織りの絨毯が
この壮大な空間の中に敷き詰められていましたが、
現在は機械折りのものを定期的に入れ替えています(↓)
ぶら下がるシャンデリアはオリジナルのもので、
当時はこのランプの一つ一つにろうそくがともされており、
キャンドルのゆらめく炎により、
大変幻想的な空間であったことと思われます。
イスタンブールでは「イスタンブール歴史地域」と呼ばれる、
一定のエリアに建つ、建造物群が世界文化遺産に指定されています。
その中で通称「ブルーモスク」と呼ばれるスルタンアフメト・モスクは、
世界一美しいモスクとも評されています。
これがブルーモスク遠景(↓)
6本のミナレット(モスクに付随する礼拝時間を知られるための円錐型の塔)と、
中心には大ドームが威風堂々とたちます。
建築平面図はこのように(↓)単純な形態ですが、
一歩室内に入ると、あらゆる建築施工技術を活用して、
イスラム建築の宇宙観を
この祈りの場に具現化していることがわかります(↓)
つまり、高さ43mの大ドームと
ドームを巨大な柱で支えたことにより、
室内空間をできる限り開放させようとしたこと、
さらに260もの窓を配置し、
当時の建築技術を最大限活用して、
室内空間に広がりを持たせようとしています(↓)
窓からはユリやチューリップ等の植物が描かれた
ステンドグラスから七色の光が差し込み(↓)
内装は白い大理石と
2万枚以上の青色を基調としたタイルで仕上げられ、
当時の施工技術の結晶であったと言えます。
中心ドームを見上げる(↓)
かつては手織りの絨毯が
この壮大な空間の中に敷き詰められていましたが、
現在は機械折りのものを定期的に入れ替えています(↓)
ぶら下がるシャンデリアはオリジナルのもので、
当時はこのランプの一つ一つにろうそくがともされており、
キャンドルのゆらめく炎により、
大変幻想的な空間であったことと思われます。
チュラーン宮殿 ― 2009-11-23 08:51
第一ボスポラス橋からさほど遠くないところに、
チュラーン宮殿があります。
19世紀後半にアルメニア人建築家により設計、建設され、
オスマン帝国の皇帝が数代居住しました。
現在は、宮殿の隣にホテル棟が建設され、
宮殿とホテルともにケンピンスキーの運営となっています。
宮殿部分は会議やパーティ等、多目的に利用されています。
チュラーン宮殿(↓)
宮殿の目の前はボスポラス海峡(↓)
まばゆいシャンデリア(↓)
ここは国賓の会議等、多目的に利用されているみたいです
常設されたレストランはありませんが、
会議のランチやパーティの際は
ケンピンスキーからケータリングされます(↓)
宮殿横の庭園から第一ボスポラス橋が見えます(↓)
イスタンブールは街中にオスマン帝国時代宮殿が沢山ありますが、
今回は殆ど見る時間がなかったので残念です。
チュラーン宮殿があります。
19世紀後半にアルメニア人建築家により設計、建設され、
オスマン帝国の皇帝が数代居住しました。
現在は、宮殿の隣にホテル棟が建設され、
宮殿とホテルともにケンピンスキーの運営となっています。
宮殿部分は会議やパーティ等、多目的に利用されています。
チュラーン宮殿(↓)
宮殿の目の前はボスポラス海峡(↓)
まばゆいシャンデリア(↓)
ここは国賓の会議等、多目的に利用されているみたいです
常設されたレストランはありませんが、
会議のランチやパーティの際は
ケンピンスキーからケータリングされます(↓)
宮殿横の庭園から第一ボスポラス橋が見えます(↓)
イスタンブールは街中にオスマン帝国時代宮殿が沢山ありますが、
今回は殆ど見る時間がなかったので残念です。
8000年の都、エルビル都城 ― 2009-11-14 08:47
イラク、エルビル市中心部の航空写真です(↓)
放射線状に都市が広がるのが分かりますか?
航空写真の中心を拡大してみてください。
この放射線状に広がる都市の中心にあるのがエルビル都城です(↓)
大きな地図で見る
イコモス(International Council on Monuments and Sites)によれば、
8000年前からの都市居住痕跡があり、
世界で最古の都市ではないかと推測されています。
都城の形状は直径400mやや変形した円形を保ち(↑)
城壁に囲まれ、小高い丘の上に立ちます(↓)
考古学調査では紀元前3000年前のアッシリアからはじまり、
その後の古代メソポタミア・バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、
プレ・アラブ時代の痕跡が明確に示されています。
都城内は道路や住居がひしめきあい、モスクや小さな広場もあり、
街として活き活きしていた様子が思い起こされます。
路地の様子(↓)
ごく最近まで都城内に人々が住んでおり(↓)
観光開発に取り組む市の方針で住民は移転しました。
路地から見た中庭付の住居(↓)
火災があった模様。
海外からの支援により、修復工事が進められています(↓)
中庭噴水付の建物、ホテルとして利用されていたそう(↓)
かつてのホテルの中の様子(↓)
都城内の建物を観光客用のショップとして利用(↓)
クルド地域の民族帽が展示されてました(↓)
クルド地域伝統柄の絨毯も販売(↓)
放射線状に都市が広がるのが分かりますか?
航空写真の中心を拡大してみてください。
この放射線状に広がる都市の中心にあるのがエルビル都城です(↓)
大きな地図で見る
イコモス(International Council on Monuments and Sites)によれば、
8000年前からの都市居住痕跡があり、
世界で最古の都市ではないかと推測されています。
都城の形状は直径400mやや変形した円形を保ち(↑)
城壁に囲まれ、小高い丘の上に立ちます(↓)
考古学調査では紀元前3000年前のアッシリアからはじまり、
その後の古代メソポタミア・バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、
プレ・アラブ時代の痕跡が明確に示されています。
都城内は道路や住居がひしめきあい、モスクや小さな広場もあり、
街として活き活きしていた様子が思い起こされます。
路地の様子(↓)
ごく最近まで都城内に人々が住んでおり(↓)
観光開発に取り組む市の方針で住民は移転しました。
路地から見た中庭付の住居(↓)
火災があった模様。
海外からの支援により、修復工事が進められています(↓)
中庭噴水付の建物、ホテルとして利用されていたそう(↓)
かつてのホテルの中の様子(↓)
都城内の建物を観光客用のショップとして利用(↓)
クルド地域の民族帽が展示されてました(↓)
クルド地域伝統柄の絨毯も販売(↓)
月夜のウンムカイスとゴラン高原 ― 2009-11-02 06:36
10月最後の週末、長雨で道もこんな状態の中(↓)
ヨルダン北部、シリア国境近くのローマ遺跡、
ウンムカイス(Umm Qais)に行きました。
でも、雨上がりのおかげで、こんな幻想的な風景に出会いました。
月夜に浮かぶウンムカイス遺跡(↓)
夕焼けに包まれる遺跡(↓)
雨上がりの静けさの中、佇む古代の列柱(↓)
ウンムカイスはかつてはガダラと呼ばれた都市。
聖書ではイエスが悪霊に取り付かれた2人の男性から、
悪霊を豚の中に追いやったと、書かれています。
これは(↓)地元の聖者を埋葬するため360年頃に建設された地下埋葬室。
後にイエスの奇跡「ガダラの豚」巡礼者向けの教会に改装されました。
実はこの地域の近くに最近まで「メスの豚」名付けられた村があったそうですが、
現在のヨルダンはイスラム教国家のため、村の名前は変更されたようです。
ガダラについておおよそ分かっている歴史は、
プトレマイオス朝の紀元前約200年以降、
セレウコス朝やユダヤ・ハスモン家の支配等を経て、
紀元前64年のローマ・ポンペイ将軍支配以降、
都市として飛躍したとのこと。
8世紀頃までは多くのクリスチャンがこの地にいました。
その後、地震等の影響で都市は衰退するのですが、
1960年代以降の近年に入り、この地域(ゴラン高原)は中東戦争で、
特にシリア・イスラエル間の領地争いの激しい戦いの場でもありました。
ウンムカイス遺跡はゴラン高原の南端の小高い山にたち、
これが(↓)ゴラン高原のはじまり、奥に見えるのがガリラヤ湖。
そして、高原の麓の村々も見えますが(↓)
手前はヨルダン領、奥に見える村は
イスラエルとシリアで現在も領地争いをしているそうです。
ヨルダン北部、シリア国境近くのローマ遺跡、
ウンムカイス(Umm Qais)に行きました。
でも、雨上がりのおかげで、こんな幻想的な風景に出会いました。
月夜に浮かぶウンムカイス遺跡(↓)
夕焼けに包まれる遺跡(↓)
雨上がりの静けさの中、佇む古代の列柱(↓)
ウンムカイスはかつてはガダラと呼ばれた都市。
聖書ではイエスが悪霊に取り付かれた2人の男性から、
悪霊を豚の中に追いやったと、書かれています。
これは(↓)地元の聖者を埋葬するため360年頃に建設された地下埋葬室。
後にイエスの奇跡「ガダラの豚」巡礼者向けの教会に改装されました。
実はこの地域の近くに最近まで「メスの豚」名付けられた村があったそうですが、
現在のヨルダンはイスラム教国家のため、村の名前は変更されたようです。
ガダラについておおよそ分かっている歴史は、
プトレマイオス朝の紀元前約200年以降、
セレウコス朝やユダヤ・ハスモン家の支配等を経て、
紀元前64年のローマ・ポンペイ将軍支配以降、
都市として飛躍したとのこと。
8世紀頃までは多くのクリスチャンがこの地にいました。
その後、地震等の影響で都市は衰退するのですが、
1960年代以降の近年に入り、この地域(ゴラン高原)は中東戦争で、
特にシリア・イスラエル間の領地争いの激しい戦いの場でもありました。
ウンムカイス遺跡はゴラン高原の南端の小高い山にたち、
これが(↓)ゴラン高原のはじまり、奥に見えるのがガリラヤ湖。
そして、高原の麓の村々も見えますが(↓)
手前はヨルダン領、奥に見える村は
イスラエルとシリアで現在も領地争いをしているそうです。
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